書を捨てよ、街に出よう

雑記

こんにちは。きたのです。

しばらく社会の闇に飲み込まれてしまい、更新が滞っていました。

来週は旧正月なのでゆっくりとした1週間が過ごせそうで今から少しわくわくしています。誰が見ているというわけではないですが、人知れずゆっくりと更新していきたいな、と思っています。

今回は先日部屋掃除をしているときに見つけた本の話。

 

 

私の部屋は8畳足らずのスペースに本棚が3つあって、大部分を本棚とベッドで占めているのですが、本を買った時期で本棚を分けています。

中学生の時に買った本、高校生の時に買った本、大学生の時に買った本。

社会人になってから買った本はほぼすべてKindleなので、近年本棚を使う機会はめっきり減っていました。

掃除をしているときに懐かしいものを見つけると手が止まってしまうのが私の悪い癖で、今回も例によって本棚に吸い寄せられてしまいました。

 

高校生の本棚にはドストエフスキー、マルクス、レイチェル・カーソンなど今思えばなぜこんなにも難しい本を読もうとしていたのかと不思議に思う本ばかりで、きっと筆者は重度の高2病患者だったのですが、とびぬけてぼろぼろの本を見つけました。

 

寺島修二さんの「書を捨てよ、街に出よう」

 

個人的には寺島先生の著作はアウトローに憧れる高校生のバイブル的なものかと思っているのですが、あんなにも読み返したはずなのに1mmも内容が思い出せなかったので、ついつい読み始めてしまいました。

読み始めて開始3分。ページをめくるたびになんだか歯がゆくて、恥ずかしいという気持ちが読みたいという気持ちを勝り、とうとう1章を読み切ることができませんでした。

 

人が成長するということはこういうことなのか、となんだか物悲しく思っていたのですが、ふと高校時代の友人K君のことを思い出しました。

 

K君は野球部でいがぐり頭にも関わらず、文字通り文武両道でNo.1しか意味がないと豪語する一方で、趣味は読書と音楽鑑賞という物静かな優等生でした。

私を読書の世界にひきづりこんだのは間違いなくK君で、この本が面白い、読んでみろといろいろな本を貸してくれたのはいい思い出です。

高校三年生になって部活も引退し、受験シーズン真っ盛りに突入したにも関わらず本を読んでいるので、ふと気になって「なぜそんなに本を読むのか、本を読むより受験勉強するべきだろう?」と聞いたことがありました。

彼は真顔で

「勉強など年をいってからでもできる。17歳という1度しかない時期にたくさんの本を読むことでしか得られない感情を得ることの方が大事だろう?」

 

当時はとうとう頭がおかしくなったのだと思っていましたが、10年経った今では彼の真意がわかる気がします。

 

感受性は年々鈍るもので年齢によって同じ経験をしても得られるものは大きく変わってくる。受験勉強だけを一生懸命にやったり、ビジネス書や自己啓発書を読むのではなく感受性を養うようなマニアックな本や映画や音楽に没頭すべきなのだ。

 

携帯を持たない男であったK君とは高校卒業以来音信不通になってしまいました。

高校生の彼の目には十年先が見えていたようですが、今の彼の目にはなにが映っているのでしょうか。機会があれば大人らしくお酒を酌み交わしたいな、と思っています。

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